泣くか泣かないか
今朝の日の出です。
やっと家の建物も一部ネットが外れて、空が見えるようになりました。
お天気の休日は嬉しくなり、あさごはんを作ったりお洗濯したり、久しぶりにアップサイドダウンケーキを焼いたりしました。楽しい日でした。
テレビを観ていると、よく母が“泣いてないで次にできることをすぐすれば良いのに”、と言っているのを耳にする。
大抵の場合、私も同じような感想を持っているわけだけれど、この感覚って、あんまり一般的じゃないのかもしれないと思っている。
職場で涙を見せる女性職員を何度も見かけたことがあるし、利用者さんに至っては、泣くことでいろいろな感情を示そうとしているように思う。
そういう人たちに冷たい対応はできないけれど、泣いてることはわがままや甘えや幼さを表してるように思えてしまうのは事実だ。
話は飛ぶけれど、私は喜怒哀楽が平板だと一般的に思われているようだ。
それでも良いけれど、実際の私はかなり感情的に激しい一面を持っていると自分では感じている。
そして、それをあまりよいこととは思っていないのだろう。おそらくは、育ち方によって。育てられ方や育てられた価値観によって。涙は、人前では見せたくない。よって、泣く人に同情的ではない私がいる。
ほとんど毎日、泣くことで自分の意思を通そうとする人と過ごしながら、どう関わりをもとうかと試行錯誤している。自分の感覚のみで彼女たちを固定的に捉えて、対応してはいけないと思いながら。
でも、おそらくもしも私が子育てをしていたら、確実に私は自分の子どもを母と同じようにしつけるだろう。怖いことだとは思うが..。
泣きたいだけ泣いて、そこから自力で立ち上がることができたら素敵だと思う。
泣くことを自分で自分に禁止したら、もしかしたら私のようにうつ病になってしまうかもしれないし。
人に何かを訴えるための泣きではなく、自分の心の整理のための泣き。
それは、絶対に必要かもしれないと思う。
利用者さんは私の子どもではなく、独立した大人だ。
支援として私ができることは、どこまでなんだろう?
私は何ができるのだろう?何をすべきなんだろう?