日々の出来事

日々の出来事を綴ります。

Mさんの涙


6連勤しての大切な休日。朝からお洗濯したり、若ゴボウのきんぴらやセロリのきんぴらを作ったり、おやつにレーズンクッキーを焼いたりした。
年末年始の休みがあるために、12月と1月には土曜日が出勤になる。
大切な日曜日のお休みの日に上手に休息と気分転換をして、次の6連勤に備えたい。


以前に、泣くことで自分の意思を通そうとする利用者さんがいることを伝えたことがある。

その時に思い浮かべていた人のうちの一人、Mさんについて話をしたい。


Mさんはいわゆるトラブルメーカーだ。
毎日のように自分から、いろいろな人をにらんだり、突き飛ばしたり、怒ったり、つねったりしている。
それでいて、よく泣く。涙はあまり出ず、周りの人の様子を気にしながら泣く。注意獲得の為に泣くことが多いという印象がある。


そのMさんが、最近、作業中などに突然、またよく泣き出すことが多くなっていた。
大きな声を上げて、目をキョロキョロさせながらかまってくれる人を探しながら。
私は、いつもの注意獲得のための泣きだろうかと疑いながら、そういう彼女に接していた。
そのMさんが、いつものように私の席近くに椅子を動かして持ってきて、話しかけてきた。


実は、Mさんのお母さんは6月に脳梗塞で倒れられ、そのまま入院されている。入院された時点で、既に、回復は見込めないということが分かっていた。
既にお父さんを数年前に亡くされており、弟さんは近所で家庭をもっておられ、お母さんと二人暮らしだったMさんは、ショートステイなどを緊急で利用されながらうちの施設に通所され、一ヶ月経ったくらいにグループホームに入られた。


突然、Mさんを襲った不幸の前でも、理解できているのか理解できていないのか、Mさんは前向きだった。「作業頑張らないと、お母さんが心配するから」と作業に頑張って取り組まれ、今日はこっち、明日はあっちという感じでのショートステイの利用も「もう疲れた、いやや。家に帰りたい」と時折泣きながらも頑張って利用されながらうちの施設への通所も続け、新しい環境であるグループホームの生活にもなじんでいった。


これまでに一度だけ、Mさんはお母さんの入院されている病院にお見舞いに行ったことがある。
「お母さんは、もう以前のお母さんとは全く違っている」「しゃべることもできない」らしいが、「いつ、お母さんが退院できるんかな?」「もう、家に帰りたい」と時折泣きながらも、毎日トラブルとともに過ごしていた。


そんなMさんがもうじきお母さんに会いに行くと、また話しかけてきた。
このところ、お母さんに久しぶりに会えるということをよく話してくれていた。
だから、私も「楽しみやね。久しぶりにお母さんに会えるもんね」と応えた。
でも、Mさんはだから、最近、ホームで調子が良くないと言う。今日は震えが来たという。夜もよく眠れないと言う。お母さんのことを考えて、よく眠れないと。
「お母さんに久しぶりに会うの、緊張するの?」
私は、彼女がどの程度自分の母親の状態を理解しているのか掴めておらず、努めて明るい雰囲気の声でそう言った。
すると、とても感慨深そうな目つきと声で、「もう、前のお母さんと違ってしまっていることは良いねん。お母さんが入院した時、病院の先生が、もう死んでいると言ったんやって」と突然、核心をついたことを初めて口にした。そして、「だからな、問題はな、これがお母さんに会う最後になるかもしれないってことやねん」「そういうこと」そう、言った。
「そうなんやね」そう、私は言った。


その時、部屋に内線のベルが鳴り、部屋に職員が私しかおらず、「Mさん、ちょっとごめんね」と言って内線に出て、戻ってみたらもうMさんはいなくなっていた。
いつも、あんなに怒り、泣いているMさんが全く感情的にならず、すごく落ち着いて私にそう話してくれた。そして、彼女の気持ちに十分に寄り添うこともできず、その話は終わってしまった。何も、できなかった。


あんなに感情的なMさんだけれど、大切な大切なお母さんの話は感情的には受け止められなかったのだろう。これまで全く気づかなかったMさんの新しい面を、私は身をもって知った。私は、Mさんのことをほとんど全く理解できていなかった、そう思った。


Mさんの話は実際にどうなのか、まだグループホームからも、弟さんからも、相談員さんからも連絡が無くどういう状態なのかは分からない。けれども、彼女のことをもっともっとしっかりと見て、寄り添っていけるような人にならなければならないと、思った。

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