日々の出来事

日々の出来事を綴ります。

今に集中する、ということ


4月に松本に行ったときに撮った山です。


うつ病の人は自分ではどうしようもない過去や未来にとらわれていると言われているけれど、この一週間ほど自分を冷静に観察してみて、本当にそうだなあと納得した。
日中にふと気になることが思い出されたり眠りの中で見る夢はみな過去の出来事であったり、また不安や恐怖を覚えるのはそれに付随した未来の出来事だからだ。


過去には後悔、未来には不安、変えることができるのは現在の自分と自分の気持ちだけということは知っているけれど、まさにそうだなあと思う。でも私の中に積み上げられてきた思考の癖はなかなか頑固だなということも事実だ。


まあ、自分を冷静に観察する視点を持ち続けて自分の感情的な波に飲み込まれないことは有効みたいなので、とりあえず、あ今は過去にとらわれているなとか、今は未来にとらわれたなとか一歩引いて見る癖を付けようと思う。


文章化することも有効らしい。本当に苦しかった頃はひたすらノートに書いていたけれど、そのうち日常に追われてノートを開くことも文字を書くこともなくなっていた。病気に繋がったのは、そういう時期からだったのかもしれない。


まだ外に出ることもできず集中力がないので本を読むこともできないけれど、頑張ってもう少し前向きに動けるようになったら挑戦してみたいことが1つできた。自分の未来を考えると怖くてすくんでしまうけれど、脳天気に夢を見て過ごして行けたら良いなあと思う。


自分を幸せにできるのは、自分だけ。つまりは今の自分だけだ。今の自分を大切にすることを最優先にして、まずはうつ病という病気と戦うのではなく、仲良くなりたいと思った。

自分語り

最近自宅で咲いた花の写真です。去年、兄の家からもらった株が無事冬を越し、咲きました。


相変わらず元気がない日々です。
2週に1度や1か月に1度、通院のため必死で外に出ますが、しんどくて美容院にも行けなくなっています。身体も心も重いです。
でも、頑張らなくてはと思い、家の中でマイペースにできる家事をいくらかするように努力しています。昔とは違い、全力で取り組んでも1つか2つくらいの家事しかできないのが、今の私です。それでも毎日、明日起きたら軽く10分くらい朝の散歩に行けたら良いなと思いながら眠っています。朝の軽い散歩や軽い運動ができるようになれば、寛解も近いという話を私は信じているのですが、そこまでなかなか到達しません。


不思議に昔のことを思い出します。ふとした時や夢の中で。
その時は意味が分からなかったことがなんとなくわかったような気がするときがあります。
それにどんな意味があるのかないのか、今の私が考えるべき事なのかそうでもないことなのかも分からないのですが、少し書いて振り返っておきたいような気がしました。


昨日は朝から頑張って午前中に3つのクリニックに行ってきました。心療内科ではしんどいときでも頑張って1つでも家事をするようにしている、というような話をしたところ、主治医は「頑張っている自分にご褒美あげてますか?」とおっしゃいました。
「ご褒美」という言葉が意外で面白くて思わず笑って流してしまいましたが、意外と重い言葉だと思えてきました。


たぶん、適度な疲れの時に自分に適度なご褒美を与えることが上手に生きていく秘訣なのだと改めて思いました。
うつ病になってしまって「好きなもの」が分からなくなって何十年経つのですが、自分や自分の気持ちをうまく「飼い慣らす」ような適度な栄養を与えることをせず、いつも「麻薬的に」うつ病を忘れさせてくれるような(すごくわくわくするような元気になるような)資格取得や仕事に夢中になってきた自分の歴史の間違いに思い当たりました。
今もどこかで、適度な栄養よりも「夢中という麻薬」を求めてしまっている自分がいることを感じています。
それでいてどこかで、もう仕事などに夢中になることが難しくなってしまっている自分を自覚して絶望もしているのです。もう仕事に夢中になれそうになく、仕事に戻れそうになく、仕事をしている自分を想像すらできないことに不安を感じます。


次に内科に行きました。血圧を測ると脈が120を超えているということで心電図をとりました。内科の主治医(おしゃべりが好きな気さくな先生で、私がうつ病であることも知っている)は、「君は例えば何かの委員などに選ばれそうになったり選ばれるとドキドキしちゃうタイプだろう?今は特に不整脈も出てないから大丈夫。病院で血圧などを測られると急に上がっちゃうタイプなだけだから」と言われました。まあ、私についてかなり正確に説明しているなあと思いました。


子どもの頃から、委員などに選ばれるとドキドキするタイプでした。やってみると意外と仕事はできるのですが(というよりも、仕事はきっちりと仕上げないと気が済まないから必死でするのですが)、不安が強いし、たぶん気が小さいので失敗することが嫌なのです。
だけどその一方で、何かを任されることも、評価されることも、出世することも嫌いではありません。結果を出すことは好きなのです。でも、私の根っこは、人見知りの怖がりなのだと思います。


昨日は頑張ってその後眼科にも行って来たので、夜は12時間以上眠りました。
今朝起きてみると、自己認識が少しいつもと違いました。
人見知りで怖がりでうつ病を何十年も患っていて、それでも生き残っている私、というような心持ちでした。
今日の私は私に対して、少し優しくなれているような気がしました。


それは今朝の私の自分に対する要求が低かったからだと思います。
普段の私は、これまであれもこれもできた・してきた。これからのわたしはこうありたい・こうあらねばならない。そんな風に勝手に考えているのかもしれないなあと思いました。


そういえば昔もそうでした。
両親に連れて行かれた大学病院で、自分の不調は身体的な理由からではなく精神的な理由からだと心療内科の紹介状を渡されても、いろいろな理由から心療内科に行く自分を許せなくて数ヶ月間さらに家で苦しんでいました。
ある日、全てを諦めて、全てを自分以外の人に任せるつもりで通院を受け入れました。
それから少しずつ少しずつ快方へ向かい、新しい分野を学びたくなって専門学校に入り直したり、新しい分野で就職したりできました。今も、きっとそういうタイミングが訪れたような気がしています。


自分の力はほんのわずかでしかないと認めることが、私はなかなか難しいのですが、それを認め受け入れることができたら、後は素直に回復していくだけなのだと思えています。
今は、しんどくてできていないこと(外にでること、仕事、友だちに会うこと、など)でも、そのうちできるようになるかなと思えています。


今は読みたいと思う本がたくさんあって、買っているのですが病気のせいで読めていません。すぐにでも読みたいのは、


小松原織香『当事者は嘘をつく』
宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』『成瀬は信じた道をいく』
岩尾俊兵『世界は経営でできている』


です。
今日、こうして久しぶりに書いてみて楽しく思えたので、そのうちまた感想など書ける日が来るかもしれません。
少し元気になった私にとっては、こうして書くことがご褒美かもしれません。

人生の見直し


今年の松本城近くの桜です。


だいぶ時間が空きました。

まだ、うつ病が良くならず休職中です。

今でも毎日、身体も心も重苦しいままです。


3月で私も50歳になりました。

今朝、ふと思ったのですが、人生の見直しの時期に来てるのかもしれません。

一つ前の自分のブログを読んで、一層そのように感じました。今までのやり方では、私のうつ病も人生も、もううまく行かなくなっているような気がしています。


これまでは落ち込んだら、新しい目標を見つけてそれに向かって全力で頑張る、という方法を繰り返すことで私は自分の人生の様々な局面を乗り越えて来ました。

うまくいかない時もあったけれど、そうすることでとにかく前に進むことができました。新しいことにも出会いました。

前に進む為にグッと力を入れるので、精神的にも体力的にも大変だったと思いますが、まだまだ若く、やる気でなんとかなりました。無理が効きました。


その方法で、今回も前回も回復しようと努力したのですがうまくいきませんでした。

やる気になりません。身体がついていきません。心がついていきません。

それにそもそも、一心に取り組みたいこと、取り組むべきことがみつかりませんでした。

ずっと探してきましたが、やはり見つかりません。


前のブログで、そもそもバーンアウトしていた気がするということに触れていましたが、その頃からずっときっと新しい課題を前にしていたのに、そのことに気づかなかったのだと思います。


中年の危機とは、昔、心理学を学んだ時に何冊か本を読みましたが、今の私がまさしくその状態なのかもしれません。

そう気づくと、少し気が楽になりました。いつかきっと抜け出せる、と思えるようになりました。

そして、この気持ちを残しておきたいと思いました。


これからどのような過程を経て回復していくのか、分かりませんが、落ち着いて取り組んでいきたいと思います。