日々の出来事

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街とその不確かな壁


『街とその不確かな壁」を読んだ。
感動するのでもなく、涙を流すのでもなく、ただ読みながらも読み終えてからも圧倒され、呆然としていたというのが近い気がする。
すごく長いお話だったし、すごく難しいお話だった。
一回通して読んだだけでは大事なことが分からなかったような、そんな心配な気持ちになる小説だった。


『街とその不確かな壁』は、いろいろな読み方ができると思う。
村上春樹もあとがきで書いているように、それこそ、「街と、その不確かな壁」や『世界の終りとハードボイルと・ワンダーランド』から読み解こうとすることもできるだろうし、そのほかの村上作品から読み解くことも楽しいだろう。
だって、「一人の作家が一生のうち真摯に語ることができる物語は、基本的に数が限られている。我々はその限られた数のモチーフを、手を変え品を変え、様々な形に書き換えていくだけなのだ」そうだから。
でも、今回私は、どんなに失敗してもどんなに傷ついてもどんなに打ちのめされても、今を、自分の現実を、生きていく力のようなものをこの小説から感じ、それを受け取ったような気がしている。


今年の四月に発売されて以来、ずっと読めずに机に置きっぱなしだったこの小説を読むきっかけになったのは、津村記久子の『水車小屋のネネ』を読んだことだった。
現代の小説家としての津村記久子が描き出していた世界観と、現代の小説家としての村上春樹が描き出す世界観を比較して捉えてみようと思ったのだった。だけど、この両者は書こうとしているものがあまりにも異なっているので、その視点は読んでいる途中で諦めた。
津村記久子の小説が現実の過酷さを描いているとしたら、村上春樹の小説は心的現実の過酷さに寄り添って描いているから、といえるかもしれない。そのどちらもとても現代的で大切な視点だと私は思っている。


ちょっと面白かったのは、生年月日から曜日を言い当てる彼の話。
私の施設にもそういう利用者さんがおり、彼そっくりで思わず微笑んでしまった。
ついでに村上春樹本人の生年月日から曜日を検索してみると、私も村上春樹も「水曜日の子供」であることが分かり、その点でも微笑んでしまった。
村上春樹の筆力って、すごいのだと改めて感心した。


そのうち時間ができたら、『若い読者のための短編小説案内』や『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』などを参照しながらもう一度ゆっくりと読んだら何か私にとっての大切な発見があるかもしれないと思って楽しみにしている。

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