日々の出来事

日々の出来事を綴ります。

好きなこと


秋が深まりだんだん遅くなってきた夜明けの写真です。


昨年悪化したうつ病がなかなか良くならないでいました。
4月から職場復帰しましたが、遅刻・早退・欠勤が続いていながらの仕事でした。
そんな自分が嫌でヨガをしてみたり、アロマを焚いてみたり、食事を工夫したりいろいろしてみましたが、スッキリとはしませんでした。


そういう弱音を吐くのは嫌で、主治医にもどうしてスッキリと良くならないのかと言う自分の気持ちは伝えずにいましたが、二週間前どうしても辛くて、伝えました。


主治医の言葉は簡単でした。
「好きなこと、できていますか?」
私はとっさに「はい、ぼちぼち」と答えましたが、実際のところは好きなことはできていないどころか、何が好きなことなのかさえも分かりませんでした。
と言うわけで、帰り道、途方にくれました。


帰宅してからも、ニコニコしながら私を見つめた主治医の顔も思い出しては悶々としていましたが、核心を突かれたような気がしていました。さすがたくさんの患者を診ている人です。


結局、うつ病は薬や医者が治してくれるわけではなく、私自身が毎日を楽しく生き生きと生きることができていれば、悩まずに済むことなのだという当たり前のことを、改めて気づきました。そんな当たり前のことをすっかりと忘れていました。


前回うつ病が悪化した五年ほど前には、休職しながら家で重い心と身体を無理矢理に動かして断捨離と掃除をしていましたが、今回はその気力もなくただ家でじっとしていました。


そのことをどこかで思い出してのことでしょうか、とにかく当時読んでいた舛田光洋さんの本が読みたくなって本棚を探してのですが、もう手放してしまいありませんでした。それでも今すぐ読みたくてAmazonのKindleで本を探し3冊購入し、それから一気に読みました。何度も何度も繰り返し読み返しました。そして、その日から少しずつ家の中を見渡しては、捨てたり、片付けたり、洗濯したり、そうじしたりを繰り返し始めました。本はその後もほぼ毎日読み返しています。


舛田光洋さんの本を読むと、元気をもらいます。私にも掃除ができるような気がします。明るい未来が待っているような気がします。


すると不思議です。どんなに頑張っても数時間遅刻してしまっていた職場に、早くに着くことができるようになりました。また、心が少しスッキリとしてきたのです。
まだ欠勤する日もありますが、以前のような先の見えないくらいトンネルの中にいるような不安は感じられなくなりました。


以前は窓磨きをするとしたら、家中の窓やレール掃除だけではなくカーテンの洗濯までしていましたが、今は無理せず一部屋ずつ行うことで、私自身の負担を軽減させて行っています。
一気には綺麗にならないけれど、少しずつ良い方に変化していることが見えるので、自分で楽しんで掃除することができています。


今日は、お風呂掃除と玄関に置いている水晶のさざれ石の浄化を午前中に行いました。
お風呂は、お部屋用のクイックルワイパーにシートを付け、それにカビキラーをまんべんなくかけて天井を拭き、換気扇を掃除し、壁や床のタイルやドアを磨きました。
水晶の浄化は、さざれ石をざるに入れ、流水を流して浄化し、明るい部屋にタオルを敷いてその上に広げて乾かしました。


昨日は、洗濯槽の掃除とシンクの掃除をしました。
洗濯槽は、付属品を外して洗い、洗濯槽クリーナーをいれて48度のお湯を張り何度も洗いを実行し、最後にフルで回しました。月に一度は行っているので汚れはほとんど出ませんが、洗濯機付近の香りが良くなりました。
台所のシンク掃除にはクエン酸水を使いました。私はクエン酸小さじ2分の1を100ccの水で溶かした溶液を使いました。普段からまめに掃除をしているので、それで十分きれいになりましたが、例えば、蛇口の下のあたりの石化したような汚れには、濡らしてから直接クエン酸を置いていき、しばらくしてからセラミックのスクレイパーなどでこするときれいにとれました。


そうして、自分で行ったことは手帳と日記に記録しています。
日記も好きなことがない自分に向き合った時に書きたいと思い、「3年メモ」という日記帳に付け始めました。
手帳に簡単に実行した掃除や片付け、洗濯内容を書いておくと、次の掃除の参考になります。
こうして日々を過ごしていくと、好きなことがない私でも、充実して不安がなくなっていくような気がしています。


好きなことが掃除や洗濯です、と言うわけでもないのかもしれませんが、汚れなどがなくなっていくことで自分自身がクリアになっていくのを感じています。それがとても不思議です。私にはとても合っているのだと思いました。

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