日々の出来事

日々の出来事を綴ります。

雨上がりの空


昨夜から降り続いていた雨が上がり、少しだけ青空が見え始めました。


起きている間の一日中、仕事のことが頭から離れません。
心身を休めることがこんなに難しいこと、とは思いませんでした。
私がいないと職場がたいへん、と思っているわけではなく、おそらくみんな結束して大変さを乗り越えているのだと思いますが、一人足りないことの大変さは分かるので、申し訳ないなあと考えてしまいます。


眠っている間は、子どもの頃の同級生などが夢に出てきます。もう名前も忘れてしまったけれど妙にいきいきと彼ら彼女らは私の夢の中で動いています。
遠足に行った帰りになぜか彼女だけ電車に乗らず自転車で電車をおいかけていて、それを私が心配していたり、複雑なしかけの建物の中でみんなで正解の場所へのたどり着き方を探していたり。
夢がいつもよりも多様な人が出てきて、しかもスペクタクルです。
どこか、夢を見て疲れている私がいます。


今日は何もする気が起きません。片付けも「しなくちゃ」と言う気持ちなので、今日は止めておこうかなと思います。
広くなった自室でパソコンを開いてブログを書くことは嫌ではないので、何も書くほどのこともないのにこうしてブログを書いています。かろうじてできることがそれだけなので、書いています。


朝から、「うつ病 やる気がおきない 対策」という検索ワードでネット検索をしていろいろ読んでいました。休職中に仕事のことなどは考えない方が良いとありました。「そうだろうなあ」と思いましたが、頭が勝手に考えてしまい、うまく切り替えができないでいます。


こんな時、何かの本を読んでみてむりやり頭の中を切り替えるという手もありますが、読書ももう純粋な喜びだけをもたらすものではないので、今の私にとっては「ストレス」になりそうで止めています。


今は、文章を書くことよりもキーボードに向かってタイピングしている、そのリズムの方が楽しいです。頭は働かないけれど、手首から先は少しは動くようです。
このまま何もできなくなってしまうのかもしれない、社会に出ることができなくなってしまうかもしれない、という不安があります。こんなこと考えたのは、うつ病と診断されてから初めてです。考え方が違うということには、年齢的なことや体力的なこともあるのかもしれません。


朝の情報番組をぼおっと見ていたら、大谷選手がMVPを受賞した様子が流れていました。「すごいなあ」と思います。野球には特に興味はありませんが、WBCは見ていました。
好きなことで、日本だけでなく外国でも活躍できるなんて、すごいなあ。
少し心が晴れた瞬間でした。

現況…その④


今朝の空です。朝は光が燦々と降ってきていました。


朝から身体が重く心も重いですが、みんなが働いている時間には自分も何かをしようと思い自室へ行きました。
私の部屋は小さな四畳半くらいの部屋ですが、ベッドが無くなった分だけ広くなり、なかなか居心地が良くなりました。


机に向かって、昨日の日記を簡単に書き、さてどうしようかなと思ったときに、
今の私にできそうなことは小さな片付けだと思いました。
そこで、今日は棚のうちの一つ段の書類の片付けをすることにしました。
その棚には保証書や取り扱い説明書などをファイリングしたファイルがいくつもあり
それの中からもう要らないものを捨てて、新しいものをファイルしました。


今日できたことは、今のところそれだけです。
今の私は信じられないほどに作業能率がかなり下がり意欲も減退しています。
それでも自分を諦めず嫌がらずに、あまりストレスをためずに
過ごしていこうと思っています。


仕事をしていたら、今日することや何日までにすることなどを頭において動いていました。
そういうことがほとんどなくなり、毎日が空白になってしまい、不思議な感じがします。
それが休職中の現実なのだと思います。
しっかりと心身を休めて、次の行動につなげていきたいです。

現況…その③


今朝の空です。晴れていますが、雲も多めのようでした。


一か月の休養を要すという診断書がでましたが、まだ職場にも連絡しておらず、家族に伝えていませんでした。
もしかしたら朝起きたら劇的な回復を遂げて出勤できるかもしれない、と思ったからです。でも、そんな奇跡のようなことは起こらず、いつにも増してしんどい日でした。
とりあえずうつ病に良いことをして早くに回復したいと思い、ベランダに出て太陽の光を浴びて、それから朝食をとりました。


身体的に精神的にしんどく、毎朝の欠勤連絡は辛かったのですが、今日は休職のお願いなので、さらにプレッシャーがかかります。
家族も今日こそ出勤するだろうと思っているので、その圧をかわしながら自分の状態を説明して心配させて申し訳ないことを伝えました。
父は「これまでだって頑張ってきたのだから、今日も頑張れるだろう、頑張りなさい」と何度も言っていました。心配かけて申し訳なかったのですが、自分でもう頑張れないと決心したので、父に言われても申し訳ないなあと思うだけでした。


心身を休める、とはどうすれば効果的に休めることができるのか今でも私は分かりません。
とりあえず、良い睡眠をとるために、規則正しい生活をし、良い食事を適量とり、適度に運動をすることが良いみたいです。
それ以外は、心身に負担になるようなストレスをかけるようなことはできるだけ避けるのが良いみたいですが、何がどんな風に自分にとってストレスになるのかまだうまく分かりません。


とにかく起きて何かをしようと思い、自室に行き抽斗を開け、もういらない紙類を処分しました。
身体が重くしんどかったですが、何故取っておいたのかな?と思うような古い書類を捨てて抽斗がすっきりすると、いくばくかの気分の良さが生まれてきました。
シュレッダーにかけるものはかけて、45リットルのごみ袋一つ分の書類を捨てました。
ありがとうありがとうありがとうありがとう…と、唱えながら実行しました。
一つの抽斗だけですが、9割方捨てることができたので、全捨離成功です。


少し前のブログで、通勤中自転車に乗りながらありがとうを唱えていると書きましたが、通勤していないので最近では家で一人でいる時よくありがとうを唱えています。
ありがとうを唱えると心が落ち着いてきて、少ししんどさも楽になるような気がしています。


さて、話は全く変わりますが、忘れたくない出来事を書いておこうと思います。
私が通っている心療内科はビルの四階にあり、エレベーターは主に心療内科の患者さんしか使っていません。
そのエレベーターでいつも起こる出来事です。


小さいそのエレベーターは4人も乗るといっぱいになってしまいますが、乗り合わせた人は皆、同じような行動をとるのです。
一階でエレベーターを乗り込むのに並んだ順番で、診察券などを手渡せるようにみんなが配慮しているのです。我先にと診察券を渡す人は一人もいません。どんな順番で4階に降り立っても、診察券は一階の並んだ順番で渡せるように少し横に退いたりして、その人が手渡すのを待っています。
どんな人と乗り合わせても、そういう行動をとる人ばかりなので、「そうなんだ」と思いました。


何が「そうなんだ」なのかを説明するのは少し難しいのですが、
私の心療内科は主にうつ病の患者さんたちが通っています。みんなそれだけ人に対しての気遣い心遣いがある人たちだ、ということです。とても和やかで優しい雰囲気です。
他のエレベーターに乗った時に、そういう心遣いを感じたことはあまりないので、これは私の心療内科の特徴なのだと、私は思っています。


以前、他のエレベーターに友だちと乗った時、ふとその話をしてみました。
するとその友だちは、(彼女は精神疾患に偏見を持たない優しい人ですが)、「ちょっと考えすぎで気持ち悪いな」と言いました。
その時も私は、「そうなんだ」と思いました。


結局、うつ病という病気は、そこまで考えて配慮してしまう人がなり易い病気、ということなのかもしれません。私は他の人が一様に、私と同じような行動をとることに懐かしさや親しみを感じたのですが、一般的な世の中はそういう場所ではないのかもしれません。
そうは言いながらも、本当に優しい人は世の中にいて、その人たちに助けられて私などは生きていることも急いで付け加えておきたいと思います。