初めて読んだのは20代初めの頃だったか。
その頃から、この本を読むと、一人の綺麗で賢い友人のことを思い出してしまう。
急いで付け加えるが、その友人は決してこの小説の女のような人物ではない。
だけど、この小説から、人殺しの要素を綺麗に洗い流したら、ひどくロマンチックな話なのではないか?と私は感じている。
山に暮らす山賊にはおそらく学はない。
けれども、ひどく感受性は豊かだ。
ただ山賊はその感受性を表現する言葉をもたず、また感受性に重きをおくどころか自分から追い出そうとしているきらいがある。
一方、女は自分に正直で欲望に忠実だ。
そして、どんなことをしても、その美しさ故なのか、山賊を惹きつけてやまないのだ。
その友人も、そんな人だった。
結構、自分がしっかり確立していて、それ故に若い私は、彼女からたまに冷たさや付き合いの悪さ、ずるさや自分本位さをまざまざと受け取っていた。けれども、それを加味しても友だちと思うくらいに彼女は魅力的な人だった。
ある日彼女と話していると、坂口安吾が好きだと言われて、思わず私は言った。
私、桜の森の満開の下がすごく好きなんだけど、読むといつも○○ちゃんのことを思い出してしまうの!
そう意気込む私に、彼女はすごく素敵な笑顔で
本当?坂口安吾好きだから、すごく嬉しい!
と言った。
でも、よくよく考えると、この小説は、血生臭い小説でもある。
私が、その血生臭さを綺麗に捨てて読んで、ロマンチックな話だと思っていることは、終ぞ彼女に話すことはなかったのだ。
これは、すごい、失言ではないだろうか?
さて、この小説は何度読み返しても私が受け取っていることをうまく言葉にできずもどかしい思いにさせる小説である。そしていつも私は言葉にすることを諦めるしかない。今日もそうだ。
それはまるで、桜や都などについて何かを思っていても言葉にすることもできず、自分から外に追いやろうとした山賊になった気分になる。
やっぱり、坂口安吾って、すごい人だ。