日々の出来事

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内田樹『常識的で何か問題でも?反文学的時代のマインドセット』

著者は古今東西にわたりすごく博識だから、その思考についていけているかどうかは、正直に言って私の場合かなり怪しい。だから、特に後半の政治の時事問題になるとただ読むだけで私自身の思考は停止し受動的になっていた。情けないですね。


さて、前半には興味ある内容がいろいろあったが、特に印象に残ったことが二つ。
「私たちに求められているのは自分の知らないことについてその真偽を判定できる能力なのである」という視点と、「どうしていいのかわからないときに、どうしていいのかわかる能力をどうやって開発するか?という論件」という視点である。


どうも、どちらも著者は答えを持っており、それと著者の身体論とがつながっているらしいのであるが、この本の中では答えは与えられなかった。
著者のどの本を読んだら、その辺りがわかるのだろう?
早く著者の意見を知りたいと思った。


さて、今平行して太宰治の『駆込み訴へ』を読んでいたから、「戦時下、太宰の文学的抵抗が見せたもの」は面白かった。以下、引用する。


「戦争する社会では、すべての言葉の意味は一意的に確定され、言葉には多義性が許されない。だが、太宰は、戦時下という本質的に反文学的な大気圧の下でかえって文学の本質をわしづかみにしてみせた」「戦争に真に反対できるのは「個別性と複雑性」の原理だけだと私も思う。それは「私が何ものであり、私が何を言いたいのか」を誰にも決定させないという太宰の文学的抵抗のうちにひとつの理想を見出すことである。文学に一票」


そして、いつも思うことだけれど、著者の圧倒的な博識さと思考力を前にすると、自分の無学さと浅はかさが悲しくなった。

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