100%不幸になる。
少し前の時期の空です。
体調の良い時にYouTubeの「精神科医・樺沢紫苑の樺チャンネル」を見ていることが多い。
樺沢先生のことは全く知らなかったけれど、なんとなく見ているだけでもすごく勉強になる。
今日一番心に残ったのは、「人の目を気にして生きると、100%不幸になる」ということだった。基本的に波風立てないで生きていきたい私には、とても納得できる内容だった。
今、私は幸せだと思う。仕事も休職しているし、何かしっかりしたものを獲得した人間でもないけれど、家にいる間は、人の目を気にしないで良いからだ。
けれど一歩外にでるとそうはいかない。それは、身内である兄との関係でそう思う。
兄は高校を卒業するまでこの実家で暮らし、大学入学後は、一緒に暮らしたことはない。そして、基本的に妹思いの優しい人だった。兄は今では一家を構え、夫や父親として家庭を支えている。特に仲良くもなかったけれどけんからしいけんかもしたことのないまま家を巣立っていった兄は、ちょっと父母では分からないようなことを相談をするにはとても親切で良い人だと以前は思っていた。
けれども近年、兄と関わると自分がひどくしんどく、傷つくことが多いことが分かってきた。父母にもそんな扱いを一度もされたことがない私が、兄からは強く存在自体を否定されるようなことを言われることが場合によってはあるからだ。まるで何も道理をわきまえない者みたいな扱いだ。
他人だったら放って置いて聞く耳を持たないでもいられるのに、身内であるだけにそうもいかない。そして、身内であるだけに仲良くもしたいので、つい私の癖で、兄にとっての正解を探そうとしてしまう。しかし、全く正解が分からない。兄がどんな人なのか?どんな考えを持った人なのか?いろいろ分からないのだ。
一番しんどかったのは、私が8年前自動車事故に巻き込まれたときの対応についてだった。弁護士に相談して弁護士をたててくれたり、弁護士との連絡を買って出てくれたり、私がお世話になっている医療機関についてきてくれたり、挨拶をしてくれたり、父母や私では思いつかなかったことをいろいろ細やかにしてくれたことにはとても感謝しているけれど、私が(兄がついてくることができないので)一人で頑張った警察署での警察官による聴取について報告の電話をすると、その警察署での会話を逐一報告させて、私の言動を感情的になじり、突き放したような感想を述べるなど、とりつく島のない対応をされた。
初めてでドキドキのしんどい経験を終えたばかりなのに、すごいダメだしをされて、自分がもしかしたら犯罪者か何かになるかのようなもう普通には戻れないような反応をされ、傷ついたのだ。今、思えば。
そんなことが本当にごくたまにある。それがひどくしんどい。優秀な兄のことは自慢だったし、面白い兄のことはよく話題にしていた。けれどもそんなこと忘れてしまうような対応をされるのだ。
これは私と兄が幼い頃にけんかをしたり、自己主張をし合ったりしてお互いを知る為の機会がなかったことによるのだろうか?それとも、兄はすごくおかしな人なのだろうか?と悩む。私に対するような面倒くささを自分の家族にもしている姿を時折見て、それを義理の姉や姪たちが嫌がっているのをみると、家族として悲しくなる。あの人はただ必死なだけで気持ちがおおらかじゃないからだけなのだとかばいたくもなるときもあるが、ことが自分に及ぶと、もろに傷つけられてしまう。嫌だと思う。
今はお互いにコミュニケーションを重ねた父母と私とで穏やかな生活をしているが、今後父母が亡くなり、兄一家だけが私の家族になり、となることを思うとひどく苦しくなる。もっとしっかりとしたにんげんにならないと、兄にボロボロにされそうな予感がする。
樺沢先生の動画を見て、そんなことを思い出した。
今の私は、父母以外の人を前にすると、自動的に相手の正解を探しながら生きてしまう。それが兄に対しても、兄一家に対しても、職場でも、友だちとの付き合いでもあるのだと思う。父母は50年かけてようやく安心してすごせる場所になった。
この文章には結論はない。ただ、強く危機感を持ったことを書いておきたかった。
あまり、自分の家族のことは書きたくなかったのだけれど。